とあるジュエリーの撮影をしてきた。僕の名前がクレジットされることはないけれど、毎回頼りにしてもらえている撮影だ。ジュエリーはその小さな輝きの中に無限の美しさが宿っていて、それを写真に収めるのは、想像以上に手間と時間を要する。特に今回のように、生花を背景や小道具として使う撮影では、さらに繊細な調整が求められる。
朝早くから準備を始め、クライアントの厳しい指定に応じた角度、ライティング、ディテールを一つひとつ確認していく。使用したのは EOS R5 と EF 100mm F2.8Lマクロ。このレンズはジュエリー撮影の相棒で、ミリ単位の調整にも応えてくれる。フォーカススタッキングを駆使し、一つのジュエリーを撮るのに何度もシャッターを切る。そのたびに、微妙にズレる角度や光を修正し、ひたすら撮影を続ける。気づけば一つのジュエリーを仕上げるのに膨大な時間がかかっていた。
そんな撮影は集中力が全て。光の加減、カメラの設定、クライアントの要望。すべてを同時に考えながら進めていく。そのプロセスはまるで精密機械のようで、どこか感情を置き去りにするような感覚になる。撮影が終わる頃には、心も身体もぐったりだ。
生花との対話
一息つき、ふと周りを見渡すと、そこには今回の撮影で使った大量の生花があった。この花たちは、ジュエリーを引き立てるためだけに選ばれ、ただその役割を終えて静かに佇んでいる。その姿を見て、「このまま枯れさせてしまうのはもったいない」と感じた。光を浴びて優しく揺れる花たちに、もう一度カメラを向けることにした。
撮影の疲れも忘れ、改めて EOS R5 とマクロレンズをセットする。ジュエリーの撮影で神経を使い果たした僕にとって、この花を撮る時間はどこか解放感があった。余計なことを考えず、ただ美しいものを美しいままに捉える。それだけでよかった。
特に目を引いたのは、白い花。柔らかい光に照らされたその姿は、まるで時間が止まったような静けさを感じさせた。花びらの細かな模様や、茎の繊細なラインを丁寧に写し取るたびに、ジュエリーとはまた違う「自然の美しさ」に触れた気がした。
写真を撮るということ
ジュエリーも花も、一瞬の輝きを持つ被写体だ。撮影するたびに、その一瞬をどう捉えるかということを問いかけられる。ジュエリーは人の手で形作られた精密さ、花は自然が生み出した儚さ。それぞれが持つ美しさを、カメラという道具を通じて記録する。それは単なる作業ではなく、どこか特別な儀式のようにも思える。
今回、ジュエリーの撮影から生まれた白い花の写真は、僕にとっても癒しのひとときだった。この花が見せてくれた静かな美しさを写真として残せたことに、少しだけ満足感を覚える。たった一瞬でも、その一瞬を大切にすることで、写真はただの記録以上の価値を持つのかもしれない。
次の撮影でも、こうした「一瞬」を逃さず捉えたいと思う。そして、その一瞬一瞬が、写真を見る誰かの心に何かを残せたら嬉しい。